2026年7月1日 木田国際税理士事務所 代表 税理士 木田穣
前編に引き続き、元外資系プライベートバンカーの斉木様に、シンガポールのプライベートバンク事情を伺いました。後編では、口座開設の審査がどれほど厳格に行われているのか、また実際の手数料の仕組みや、プライベートバンカーの収入構造について、裏側を詳しくお話しいただきました。
一昔前の日本では、子ども名義であっても銀行口座を新規開設するとティッシュなどのノベルティがもらえるほど、口座開設は歓迎される手続きでした。しかし現在のシンガポールでは事情が大きく異なります。斉木様ご自身、数年前にシンガポール法人を設立した際、現地の銀行に法人口座の開設に行ったところ断られた経験があるそうです。シンガポールでは「銀行がお客様に口座を開いてほしいとお願いする」のではなく、「お客様が口座を開きたいと申し出て、銀行が審査したうえで開設してあげる」という関係性であるとのことでした。
斉木様がクレディ・スイス・シンガポールへの転籍直後、給与受け取り用の個人口座を作ろうとした際にも、「3か月分の給与受け取り実績がない」という理由で断られた経験があるそうです。現在はシンガポールに居住している実態があれば以前より口座は作りやすくなっているものの、クレジットカードなどについては収入証明を含めた審査がきちんと行われるとのことでした。
プライベートバンクの担当者を通しても、コンプライアンス部門の審査で口座開設が通らないケースがあるといいます。代表的な例が、暗号資産を主な収入源として資産を築いた、いわゆる「億り人」です。こうした方は、スイス系の伝統的なプライベートバンクでは口座開設を断られることが多いとのことでした。
暗号資産に限らず、パチンコや風俗関連のビジネス、産業廃棄物処理業など、反社会的勢力とは無関係であっても「健全とはみなされにくい」業種で資産を築いた方についても、口座開設がNGになるケースが多いそうです。
プライベートバンクの営業担当者自身は、自分の成績のためにも、また目の前のお客様のためにも、できる限り口座を開設したいと考えているのが実情です。そのため、グレーな事情についてはあえて深く聞かず、審査に通りやすい部分だけを申請書類に記載する、という運用がされることもあるといいます。
しかし、その後ろにはコンプライアンス部門による厳格なリサーチ体制があります。申請者の出身地や過去に所属していた会社などについて、非常に緻密な調査が行われ、多くの場合、隠していた事実が発覚してしまうとのことでした。過去に重大な犯罪歴があり自己申告していない場合、最終的なバックグラウンドチェックの段階で発覚し、報道等が事実でないことを証明するよう求められることもあるそうです。例えば、SNSやブログ記事などにネガティブな内容(セクハラで訴えられた、といった記述など)が書かれているだけでも、たとえ事実無根や裁判で無罪となっていたとしても、バックグラウンドチェックでピックアップされ、人格面での懸念材料として扱われることがあるとのことでした。
斉木様によると、シンガポールという国自体が金融・投資によって成り立っている国であるため、マネーロンダリングや犯罪行為に対する国全体の姿勢が非常に厳しく、UBSやクレディ・スイスといった金融機関の本国(スイス)のルールよりも、シンガポール現地でのルールの方がより厳格になっている可能性がある、とのお話でした。
斉木様によれば、プライベートバンクの手数料体系は各社バラバラで、非常に分かりにくいのが実情とのことです。日本でUBS等が投資一任勘定でない限り、預入資産に対して毎年0.数%を継続的に徴収するという課金方式は、少なくとも斉木様の勤務当時には一般的ではなかったとのことでした。ただし、預入資産が500万ドルや200万ドルを下回るような小口の口座に対しては、こうした手数料を課すことで実質的に口座をクローズさせる(大口顧客への集約を促す)動きが一部で見られたそうです。
シンガポールのプライベートバンク(ティア1・ティア2・ティア3、EAM問わず)の多くは、預入資産に対する一律の手数料というより、取引(トランザクション)が発生するたびに、売買手数料として3%程度を徴収する、あるいは債券のオファー価格・ビッド価格(買値・売値)の差にすでに手数料が組み込まれており、明示的な手数料として提示されないケースが多いとのことでした。
また、「マンデート講座(一任勘定)」と呼ばれる、日本のファンドラップに近い商品もあります。5,000万円〜数億円規模の資金を預け入れ、運用そのものを一任するタイプの口座で、大手プライベートバンクで広く提供されているとのことです。ジュリアス・ベアやロンバー・オディエといった銀行では、こうしたマンデート型の商品が中心になっている印象がある、とのお話でした。
プライベートバンカー自身の収入構造についても伺いました。基本給(ベースサラリー)は、前職の経験を考慮したうえで、入社時の役職(アソシエイト、バイスプレジデント、マネージング・ディレクター等)によって決まるレンジがあるとのことですが、大きな比重を占めるのはボーナス部分とのことです。ボーナスの評価軸は主に3つあり、①1年間で外部から預け入れ資産(ネットマネー)をどれだけ増やせたか、②取引で発生したコミッション収入が年間でいくらになったか、③会社の方針によっては、マンデート口座の獲得や残高増加といった、より運用一任型のビジネスへの貢献、とのことでした。
特に③については、スイス本国の方針として、日々の株の売買を積極的に勧めるのではなく、一任勘定で分散投資を行い、年率4〜10%程度のリターンを狙うスタイルを世界的に推進する傾向があり、その流れがボーナス評価にも反映されているとのことです。
なお、ボーナスは個人の成績だけでなく、会社全体の業績にも左右されます。プライベートバンキング部門の業績が良く、担当者個人の成績も部門トップクラスであっても、投資銀行部門が大きな赤字を出していれば、会社全体のボーナスプールが縮小し、支給額が大きく減ることもあるとのことでした。こうした事情から、優秀な実績を持つプライベートバンカーが、より会社業績に左右されにくい報酬体系を求めて、EAM(独立系)などへ転職するケースもあるそうです。
日本では、証券会社出身者が50代でIFAとして独立するケースが伝統的に多い一方、最近では20代後半〜30代という早い段階で独立するケースも増えているとのことでした。日系の銀行・証券会社出身者にとっては、まず外資系プライベートバンカーになることが一つの目標として意識されることが多く、そこでの実績を積んだうえで独立するという流れが多いようです。
銀行系のプライベートバンクだと自社商品の販売目標が厳しく課されているのではないか、という質問に対しては、マンデート口座の獲得についてはKPI(重要業績評価指標)が設定されているものの、JPモルガン・アセット・マネジメントであれ他社の運用商品であれ、特定商品の販売ノルマという点では大きな差はなかった、とのお話でした。
日本とシンガポールの両方で勤務経験がある斉木様に、シンガポールならではの資産運用の特徴についても伺いました。
一つ目は、ローンレバレッジ(証券担保ローン)の活用です。日本では、一部のプライベートバンクや、楽天証券など特定のIFAと提携している金融機関でしか、外貨預金や債券を担保にさらに資金を借り入れる、といったスキームは利用できません。シンガポールでは、OCBCやシティバンク・プレミアといった銀行でも比較的広く利用できるとのことです。例えばシティバンクでは米ドル20万ドル(約2,000万円)程度、OCBCプレミアではシンガポールドル35万ドル(約4,000万円)程度を預け入れることで口座開設ができ、そこから担保の5〜8割程度の融資(金利1〜2%程度)を受けて、より高い利回り(4〜5%程度)の債券を購入する、といった「二階建て」のレバレッジ運用を行う方が多いとのことでした。
二つ目は、夫婦のジョイント口座です。日本ではあまり馴染みがありませんが、シンガポールでは夫婦どちらも取引指示を出せる共同口座を持つ方が多いとのことです。相続や離婚の場面で違いが出るほか、妻側に資産がなくても、夫婦共同口座であれば夫婦双方の名義で資産運用ができるというメリットがあります。
三つ目は、富裕層向けの海外保険です。例えば1億円の保険料を払い込み、被保険者が亡くなった際には家族に5億円が支払われるといった、日本ではなかなか見られない高倍率の保険商品が、ブローカー経由で販売されているとのことでした。
最後に、プライベートバンクへのこだわりが強くない方向けの選択肢として、OCBCの「360アカウント」のような、普通預金の延長にある商品も紹介いただきました。一定額以上の預入れ、定期的な入金、ファンド購入、クレジットカード発行といった複数の条件を満たすことで、普通預金でありながら7%程度の金利がつくキャンペーンが行われることも多いそうです。このような低リスクの選択肢である程度のキャッシュを運用しつつ、オルタナティブ商品や個別株に興味が出た段階で野村證券やネット証券などで別途口座開設をする、あるいは暗号資産についてはコインベースやコインチェックなどを利用する、という組み合わせ方をされている方も多いとのことでした。
シンガポールでプライベートバンク口座を開設する際、保有する金融資産の全体像をすべて開示しなければならないのか、という質問についても伺いました。斉木様によると、開示しなければ実質的に口座開設ができない、という回答でした。
日本の銀行や証券会社であれば、本人確認書類と必要事項の記入で比較的誰でも口座開設ができますが、プライベートバンキングでは「ソース・オブ・ウェルス(Source of Wealth/資産の出どころ)」が最も重視されるとのことです。担当のバンカーは、口座を開設する顧客がどのように現在の資産を築いたのかについて、出身地や卒業歴、家族構成、資産がどのタイミングでいくらに増えたのか(上場によるものか、M&Aによるものか、投資によるものか、不動産によるものか等)まで、非常に細かくヒアリングして申請書類に記載するとのことでした。
2回にわたり、元外資系プライベートバンカーの斉木様に、シンガポールのプライベートバンク事情を詳しく伺いました。資産規模や運用したい商品によって選択肢が絞られること、審査は資産の出どころまで厳格にチェックされること、そして手数料や担当者の報酬体系は各社バラバラで分かりにくいことなど、実務に携わった方ならではのリアルなお話をいただけたのではないかと思います。シンガポールでの資産運用・プライベートバンク選びをご検討の方は、ぜひ参考にしていただければと思います。
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